ブラジルから
遠く離れた国の
工場の中に
自分の居場所がある。
- GIRERUME MORI
- モリ・ギレルメ / 2006年入社 / 磐田工場 組⻑
TAKE 01周囲の人たちの優しさのおかげで、
すぐに慣れた。
日本に来たのは2006年、17歳の時でした。当時、私は母親とブラジルで暮らしていましたが、そろそろ親からも自立しなければと思い、同じ地区の日系ブラジル人の友人が日本で就職するという話を聞き、私も日本行きを決めました。就職先に太平工業を選んだのは、就職先を斡旋してくれる会社からの紹介です。給与の高さと休日の多さに惹かれました。ただ、同じ地区の友人が 結局、日本行きを取りやめたことにより、私は誰も知り合いのいない国に一人で行くことになってしまったのです。当時、日本語もまったく話せませんでしたし、日本に来る直前は本当に不安でしたね。しかし、いざ日本に来てみると、太平工業にはすでに日系ブラジル人の先輩たちが働いていたこともあり、仕事面だけでなく、生活面でのアドバイスなど、丁寧にいろいろ教えてくださいました。しかも、当時の班⻑は純粋な日本人でしたが、一緒に働く私たちのためにポルトガル語の勉強をしてくれていて、すごく助かりました。日本に来て2〜3ヶ月が経つ頃にはだいぶ慣れてきて、自分自身が一人で生活できていることに驚きと喜びを覚えました。
TAKE 02信頼し合える仲間が
増えていくことが、うれしい。
現在、仕事をしていて楽しさを感じる瞬間は、工場内で働く様々な人たちとコミュニケーションが取れた瞬間です。日々、コミュニケーションを重ねていくことで、太平工業の同僚はもちろん、自動車メーカーの担当者など、⻑い時間をかけて信頼し合える仲間が増えていくことが一番うれしいですね。ブラジルから遠く離れた国の自動車工場の組み立てラインの中に、しっかり自分の居場所があるのです。本当に良い会社、良い人たちと巡り会えたと思います。
また、15年間の勤務の中で仕事の役割も変わっていきました。ラインの一作業者からスタートし、班⻑を経て、現在はより多くのラインを監督する組⻑の仕事を任されています。目を配る人の数が増えれば、そのぶん心配事も増えますが、同時に責任感ややりがいも大きくなります。困ったときは同じ立場の別の組⻑が力を貸してくれますし、せっかく任された役割です。
今は、この組⻑の仕事を100%できるように頑張っていきたいですね。また、会社の勧めもあり、フォークリフトや溶接の免許も取得。資格を持つとできることが増え、自信も深まったように思います。今後は日本語ももっと勉強し、よりコミュニケーションを活発に取れる組⻑になりたいですね。
TAKE 03新しい家族も、新しい家も持つことができた。
日本に来て生活面での大きな変化は、自分にも新しい家族ができたことです。13年前に日本で生まれ育った日系ブラジル人の女性と結婚し、今は子供も4人います。日本に来る前は、こっちでお金を貯めてブラジルに帰るつもりでいましたが、今はもう帰るつもりはありません。工場の近くに家も購入し、ブラジルの母親と会うときも彼女にこっちに来てもらっています。この辺りはブラジル出身の人たちが数多く住んでいることもあり、ブラジル特有の食材もすぐ手に入るなど、本当に暮らしやすい場所なのです。こうして15年間を振り返ると、日本に来て、太平工業 に入社することができて、私自身いろいろなことが変わったと思います。仕事の目的も大きく変わりました。ブラジルから日本に来るときは、「お金のため」に働こうという気持ちしかありませんでしたが、今は違う。「家族のため」にもっと頑張りたいと思うようになりました。
仕事でも、生活でも
サポートの手厚い会社。
太平工業には、私と同じようにたくさんの外国人が一緒に働いています。最も多いのは、日系ブラジル人ですが、最近ではベトナムやフィリピンから働きに来る社員も増えています。国が変われば、言葉も文化も変わりますが、それぞれの大切にしているものを尊重しながら交流を深めていけたらと思っています。それに、私自身、日本の文化を知ったことももちろん、いろいろな国の文化を知ることがとても楽しみです。「日本で働きたい」と思っている外国人の方がいましたら、ぜひ、太平工業で一緒に働きましょう。この会社は仕事だけでなく、生活のサポートも手厚い会社。昨年、コロナで仕事が休業になったときも、特別手当を出してくれたほどです。社⻑を含め、社員思いの会社だと思いますので、安心して飛び込んで来てください。お待ちしています。